創作仮説
創作を営む者にとってはリア充すぎるのも考え物だなぁと思いました。
自分の例では、ロンドンに居た時期、自分の生活自体がファンタジー世界のようだったのでそれをわざわざ改めて何か作品にしようという気が全く起きなかったしそんなことをする時間も勿体無いと感じていました。
自分で作らなくとも一歩部屋を出れば自分の理想の世界がそこにある、そんな環境だったので。
そして帰国して現在は有り余る時間がありますが、自分がかの地で経験した数々の出来事を創作に活かそうにも、あれはあれで自分の中で思い出として完成されていて、セミフィクション化して加筆修正しようにもリアリティの純度を下げるだけだし、そもそも思い出を焼き直しすること自体意味があるのか疑問です。実際のところ、それ以前に自分自身が経験しただけでもう既にお腹いっぱいになってしまっている感があります。
藤子Fのドラえもんを例にとれば、あれは「あんなことができたらいいなぁ」という彼の願望や妄想が成した作品だと言えますよね。実際もし当時彼らの生活が充実していて満たされていたらそういう妄想は果たしてあんな形で爆発的に広がっていただろうか?
創作って妄想力が物を言う世界でしょ?
理想と現実にギャップがあるほどその真価を発揮できるものだと思います。
自分が理想とする環境を一度でも手に入れてしまうとどうもそこで足が止まってしまうことがあるようです。今回の俺のように。他人の例で言えば、極端なものですが前々回のオリンピックで金メダルを取った北島選手が次の目標を描くことができずに一時期低迷したときのような。
皆さんもお気をつけを。
そして俺はどうすれば…?www^^;
妄想の膨らませ方がわからなくなってしまった…。楽しい世界を思い描こうとすると、どうしてもロンドンのあの充実していた生活ばかりが脳裏に浮かんでしまう…。
とりあえず一旦漫画なりアニメなりを見まくって妄想の世界の住人に戻る努力をしてみますが…。